5・1メーデー全世界労働者大団結万歳!

 第50回釜ヶ崎メーデー
   新センターに労働者の声を!

 大阪・西成では5月1日、小雨が降ったりやんだりのあいにくの天気の中、「第50回釜ヶ崎メーデー」が開催された。
 「センター建て替え計画」によって「旧センター」のシャツターが閉ざされている関係で、今年のメーデーは、釜ヶ崎メーデーの歴史上初めて、会場がセンター中央ではなく、「旧センター」南西角の向いの「新萩の森」に移して行なわれた。しかし、この初めての会場には200名を超える仲間が結集し、集会を貫徹することができた。(「新萩の森」は萩小学校跡地であり、移転された市営住宅の北側に、「旧センター」居場所機能を代替する施設の一部として、広場としての整備を予定)。
 集会終盤、「旧センター」北側で別のメーデー集会を行なっていた、全港湾建設支部西成分会の仲間たちによるデモが出発。釜メーデー集会の横を通過していく。「釜共闘」結成以降、運動的にも組織的にも決別して以降、全港湾と釜共闘(を継承する)潮流とによる2つのメーデーとして闘われてきたが、今回も「別個に進んで共に撃つ」精神でエールを送りつつ、集会を続けた。
 いよいよ、我々もデモ出発だ。司会の仲間から、「若く元気のある仲間は先頭に、『身体がしんどくデモは勘弁して』という仲間は、デモ隊とは別に何とか三角公園にたどり着き、打ち上げに合流しよう!」の声を合図に出発した。
 155名のデモ隊は、「第50回釜ヶ崎メーデーを闘うぞ!」「全国全世界の労働者と団結しよう!」「野宿をさせるな!仕事をよこせ!」「働いてメシの食える『しくみ』をつくれ!」「新センターに労働者の声を! 仮移転中の居場所機能を拡充し、労働者の使い勝手の悪さを改善しろ!」などの声を上げ、また、当日輪番が当たり「特掃」で働く労働者には、「メーデーを闘っているものとして今日の仕事をがんばってくれ」と呼びかけて、地域内を練り歩いた。デモ到着の三角公園で、何とかたどり着いた仲間たちとも共に、カンパイ・打ち上げを行なうことができた。
 また今年も、連合大阪よりメーデー清掃の仕事を、釜ヶ崎労働者にもらうことができた。
 
 第1回釜ヶ崎メーデーから50年、釜ヶ崎は、そして労働者の労働・生活は大きく変ってきている。
 とりわけ1990年代からは大失業の時代が深まり、多くの仲間が失業・野宿を強いられている。仕事量は、10分の1以下に減っている。
 労働者も高齢化し、ドヤがどんどん外国人旅行者用のホテルや福祉アパート、有料老人ホームに変わり、現役層を対象としていた食堂やホルモン屋台が姿を消し、代わりに弁当屋が、そして主に生活保護受給者を対象としたカラオケスナックが増えている。
 街には、訪問介護のスタッフが増え、マスコミで取り上げられた飲み屋や屋台に、若者があふれている。
 また、ここ数年は、「バクチ場」や「シャブの売人」も姿を消している。
 しかし一方で、「釜ヶ崎に行けば何とか生きられる」と、新たな仲間たちがたどり着くという構造は変わっていない。
 今、インターネット等できわめて限られた情報のもとで話題になっている「センター建て替え」問題とは、こうした情況をふまえ、未来の釜ヶ崎を見すえた重要な問題だ。
 たしかに橋下時代、「センター耐震強度不足」をきっかけに、西成特区構想の要として出発した「センター建て替え」とは、釜ヶ崎労働者の追い出し、大資本への土地売り渡し・商業開発という思わくで始まった。
 自民党と対立していた橋下は、町内会、自治会、商店会を通じた住民の合意形成が自民党の基盤であることから、この解体を狙い、また野党系に対しては、大阪市などの労働組合への攻撃、NPOや地域の市民運動の解体再編、これらの狙いを加えていた。
 その後、大阪都構想の住民投票で維新が敗北し、橋下が政界を引退することで、大資本への売り渡しを主導した部分が政治的に後退する局面となった。その結果、今までとは違う合意システムだけが残り、「町づくり検討会議」等での議論が続けられ、センター消滅・駅前再開発ではなく、「センター建て替え」が合意されたのである。
 「構造上問題がある」以上、利用する労働者の安全を考えるならば、一日も早く建て替えるべきである。
 ネット等で建て替え「反対」としている一部の人々の主張は、「耐震基準を満たしていないというのは行政のウソ」、「今回仮移転させ、現地で建て替えるという約束も行政のウソ」という考えであるようだ。
 これでは、行政との交渉などできはしない。
 たしかに行政はウソも言うし、約束を破ることは平気でしてきた。必要なのは、「ウソをつかせない」、「約束を守らせる」闘いをつくり出すことではないのか。
 地域の住民との無用な軋轢を求めるのではなく、かれらを巻き込みつつ、労働者も住民も使いやすい新センターをつくる議論を、責任をもって進めることが必要だ。
 今現在は、「仮移転」に伴なう「使い勝手の悪さ」を改善させていかなければならない。
 西成総合センターは、労働センター・職安・医療センター・市営住宅で構成されていた。その「労働センター」は当初、「日曜・休日は駐車スペースは開けない」と言っていたのを、求人の車が来るので「開ける」と回答させた。
 「職安」に対しても、「土・日・休日は寄り場を開けない」との方針を撤回させ、土日休も寄り場を開けさせた。
 「新萩の森」広場の使用についても、「集会等に利用させない」という方針であったのを、「とりあえずメーデーをやらせて、様子を見よう」というところに行政を押し戻すことができた。
 あいりんシェルター(野宿者緊急避難所)の利用時間も、朝8時まで延長させることができた。
 しかしまだ、求人業者の車の待機場所の問題などなど、改善させることは山積みである。(旧センターでも、仕事の多いときは車が溢れかえっていた。それで業者によっては、労働者の待機場所を独自に作っている)。
 また、「建て替え」とは直接関係ないが、「天皇代替わり」による「10連休」問題も、釜ヶ崎労働者の雇用問題であった。4月30日、5月1日、2日は、「従来通り『特掃』を行なう」とさせることができた。
 新しい情勢を見すえ、5年後・10年後の釜ヶ崎の未来を展望する要求と闘争を、責任をもって作り出そう。
 行政・権力の反動性をバクロするだけでは、ダメである。反行政・反権力の抗議、何でもそこから始まる場合は多い。しかし、それを抵抗運動だけに止めてしまうならば、旧来の急進民主主義政治である。旧い闘い方を脱却し、労働者の声を、その要求を第一にして、「社会の新たなしくみ」づくりへ前進すべき時代である。
 釜ヶ崎の課題にかぎらず、左翼変革勢力の団結・統合という課題、その要も、このあたりにあるのではなかろうか。(釜ヶ崎S)


 第90回日比谷メーデー
  外国人労働者との連帯・共生!

 5月1日、東京では日比谷野外音楽堂にて、「第90回日比谷メーデー」が行なわれ、野音内外に全労協参加の各組合、都労連、各ユニオン、外国人労働者など約6000名が参加した。主催は日比谷メーデー実行委。
 日比谷メーデーは、例年「働く者の団結で生活と権利、平和と民主主義を守ろう」をメインスローガンとしつつ、今年はサブスローガンとして、「9条改憲反対!辺野古新基地建設阻止!安倍政権の退陣を!」、「なくせ貧困・格差 8時間働けば暮せる社会を!」、「外国人労働者との連帯・共生を!原発ゼロ社会の実現を!」の3本を掲げた。
 安倍政権が強行成立させた「働き方改革法」の4月施行、また「特定技能」在留資格を導入した改定入管法の4月施行、これらをふまえたサブスローガンである。今年のサブスローガンは、代々木公園で同時進行の、全労連などによる中央メーデーとの共有スローガンとなった。
 新天皇の即位日がメーデーにぶつけられてきたが、天皇代替わりに批判的に対応した内容はあったのか。「元号強制反対」が諸スローガンの中に入れられたが、メーデーアピールでは天皇問題に触れていない。しかし壇上では、そうした発言もあった。
 労働組合は通常、賃金・労働条件・雇用の具体的要求で団結するものであるから、象徴天皇制の支持・不支持は各組合員の思想・信条の自由に係わり、組合としては扱いにくい問題であるともいえる。しかし、天皇の象徴機能が憲法規定を逸脱して強化され、安倍政権がそれを政治利用するという今日の異常な事態においては、労働組合もそれを黙認しているわけにはいかない。主権在民・民主主義擁護の立場から、労働組合の積極的対応が求められている。
 さて、日比谷メーデー式典では、平賀雄次郎さん(中小民間労組懇談会代表)が開会宣言、鎌田博一さん(国労東京地本委員長)が主催者挨拶を行なった。いずれも安倍政権による8時間労働制の破壊、戦争と憲法改悪の道、沖縄の民意蹂躙を糾弾し、安倍政権打倒を訴えた。
 西川晋司さん(都労連委員長)に続き連帯挨拶が、野村幸裕さん(第90回中央メーデー実行委)からなされた。なお代々木メーデーでは、中岡基明・全労協事務局長が連帯挨拶を行なった。
 福島みずほ参院議員などの挨拶の後、第29回京都地域メーデー実行委からのメッセージが読み上げられた。例年どおり、韓国民主労総などからもメッセージが来ている。
 各闘いのアピールが、非正規労働者では森田信子さん(全国一般東京労組メトロセルビス分会)、外国人労働者ではオリヴィエ・フィリップさん(全国一般東京南部)、反戦平和では菱山南帆子さん(5・3憲法集会実行委)、争議組合では坂田冬樹さん(全日建関西生コン支部)から訴えられた。
 菱山南帆子さんは、5・3有明公園への大結集を呼びかけつつ、「私たち労働者は社会の主人公であって、天皇の臣民ではありません!」と発言して、大きな拍手を受けた。
 日比谷メーデーで、関生労組が発言するのは初めて。坂田さんは、このかんの延べ63名にも及ぶ関生弾圧の異常性を報告。すべての労働者・市民の人権に関わる闘いとして、支援を訴えた。
 最後に、「労使対等原則が担保された多民族・多文化共生社会をめざす」等を掲げるメーデーアピールを採択、団結ガンバローを行なって、デモ行進に出発した。(東京A通信員)